ワーキングホリデー

オーストラリア滞在2年目|海外在住ノマドガールの自己紹介

はい!!!!
海外に行ってみたい挑戦者の方々こんにちは!

大学を卒業して就活をせずに海外に飛び出した24歳のもりこです。

日本で大学を卒業したあと、就職をせずに海外に飛び出した24歳のもりこです。
現在はノマドワーカーとしてオーストラリアに住みながら働いています!

今回の記事では、私の生い立ちとどうして新卒という肩書きを捨ててまで海外渡航を決意したのかについての自己紹介を書いていこうかと思います。

はじめに

まずはじめに、どうして私がこの自己紹介記事を書こうと思ったのかの経緯を書きたいと思います。

わたしが今回このブログサイトを立ち上げるに当たって、一番はじめにやるべきことは何かを考えた時に、『私は何者なのか』を読者の方に伝えることが大事なのではないかと自分の中で自然と出てきました。

このブログサイトは、『お金も英語スキルも今はないけど、海外で何かしら挑戦したい』という人たちを応援するために立ち上げました。

実際に私もオーストラリアに渡航する前は、英語力もなくスキルもない、ましてやお金すら十分に持っていないという状況。

それでも

  • どうしても英語を話せるようになりたい
  • 周りと差をつけたい、
  • 何かしらを成し遂げたい

と考えていた私は、ワーキングホリデーで海外へ行くという手段に辿り着いたわけです。

私と似た境遇で

  • 海外に行きたいけど後一歩が踏み出せない
  • ワーキングホリデーに行くことは決めたけどその先が不安
  • お金がないけど海外に挑戦してみたい

そんな未来ある若者・挑戦者たちに刺さるブログを作っていけたらと思っています。

私の生い立ち

2000年生まれの静岡県出身。

とても小さな田舎町で生まれ育ちました。幼稚園のころから中学を卒業するまでの間にクラス替えはなく、1学年1クラスという環境で割とのびのび?と過ごしていたと思います。

高校を卒業してからは、地元を飛び出して神奈川県横浜市にある大学に進学。

在学中は人混みに揉まれ、少しばかりストレスを感じながら通学していました。

横浜は本当に人が多い。通っていた大学は割と大きい大学だったため受講した講義は大人数で受けるものが多かったです。

かなり静かな田舎町出身の私にとって、この環境はかなり精神にくるものがありました。

家が裕福ではなかったため、大学の学費は奨学金を借りて補っていました。自分の生活費はアルバイト代で賄い、家賃だけ両親に負担してもらいました。

私の周りの女子大学生といえばみんなオートロック付きの6万から8万円くらいする部屋に住んでいましたが、私はといえば4万4千円のオートロックなんてついてるはずもないアパートに住んでいました。

大学生のみのアパートではあったものの、私以外に住んでいたのは全員男性で😭

特になにか事件があったわけではないものの、オートロックがない&2階部屋(二階建て)という点では多少は身の危険を常に感じながら生活していました。

それに加えて、かなり大きい霊園の前にアパートが位置していたため、最初の一年は毎晩帰宅時にビクビクしながら歩いていた記憶があります。

学生時代にしていたこと

学生時代に励んだことは、アルバイトと部活ですね。

部活はオーケストラに所属していました。週3日の月水金。

1日の講義が終わると17時ごろからすぐ部活開始だったので、活動日は大学が閉まるギリギリまでひたすらフルートの練習に励んでいましたね。

部活がない日は生活費と部費を稼ぐためにひたすらバイト。

土日は一日13時間勤務することもしばしば、、、

まあそんなこんなで、カツカツで忙しく、それでも充実していた毎日を過ごしていたはずです。(今振り返ってみるとですが、、、)

ここまで読んだだけなら、「あぁ、この人は部活もアルバイトも頑張って、充実した大学生活を送ったんだろうな〜」と思う人も多いかと。

だがしかしですね、

なんとアルバイトと部活動に時間を費やした結果、大学2年生の時に留年してしまったんです。

正確には「原級」というんですけどね、、、

大学では、次の学年に進級できないことを「原級」、4年次に卒業ができずに大学に留まることを「留年」というらしいです苦笑

ここで、なんとも素晴らしい黒歴史を残した私にさらなる災いが降りかかります。

そう、当時2020年。あの全世界をお騒がせした例のあのウイルスでございます。

大学2年で原級した私は、半年大学を休学。奨学金は停止したため、学費を稼ぐためにひたすら一日中アルバイトをしていました。

緊急事態宣言で友達には会えず、毎日働いては家に帰り働いては家に帰りの繰り返しでした。

海外に行きたいという欲望はあったものの、コロナだしどうせ行けないだろうと思っていました。

まあそんなこんなで、なんとかコロナ時代を切り抜け、大学に復帰してからは真面目に講義を受講し、5年間かけてなんとかギリギリの単位で大学を卒業しました。

大学卒業後

2023年3月に卒業式を終え、その1週間後にはワーキングホリデー制度を使ってオーストラリアに飛び立っていました。

そして現在2024年、オーストラリアにいる間は言語の壁や金欠で苦労はするものの、現地で出会った心優しい方達のおかげでなんとか乗り越えてきました。

今では、家でパソコンをカタカタしながら働けるぐらいに海外生活に余裕ができています。

私の生い立ちを簡単に説明するとこんな感じですかね。

簡単に説明した割には長いよ!と思ったそこのあなた、私の自己紹介はこんなもんでは終わりませんよ笑

ここからは私がなぜ海外渡航を決意したかについて説明していきたいと思います。

私が海外渡航を決意した理由

私が海外渡航を決意した理由として一番大きいのは「もっと広い世界を見てみたいから」だったと思います。

海外に行きたい理由なんて全部上げ始めたら、キリがないくらいに海外に行ってみたかったんです。

一応その他の理由も軽く下記に挙げときますね

  • 英語を話せるようになったらかっこいいと思ったから
  • もっといろんな価値観を持った人たちと話してみたいと思ったから
  • 海外で非日常を味わってみたいと思ったから
  • 海外でも一人で生きていけるぐらい強くなりたかったから
  • 時給の高いオーストラリアで稼ぎたかったから
  • 広大な自然に触れてみたかったから
  • 周りの人たちとは違うことをして差をつけたかったから

私はこのようなことを考えながら海外に渡航してきました。

みんなそれぞれの理由があって海外にいるから、理由なんていくつあったっていいし、むしろ理由なく海外に来るのもいいと思います。

大事なのは、海外に来てからその人が「何を成し遂げるか」です。

ちょっと話が逸れてしまいそうになりましたね😅

どうして海外に行きたいと思った?

では、なぜ私は海外に行ってみたいと思うようになったのでしょう?

その答えは私の幼少期にあると思われます。

前述した通り、私は小さな田舎町で生まれ育ちました。小さいコミュニティで幼少期を過ごし、家族でのお出かけをすることもあまりありませんでした。

周りと比べるとそこまで裕福な家庭ではなかったのでしょう。

両親は教育熱心というわけでもなく放任主義な家庭で育ちましたね。

だからと言ったらいいのか、お金がかかること以外で自分のやりたいことに関しては親から辞めなさいと怒られることも、こうしなさいと縛られることもありませんでした。

今思い出してみると、「宿題やりなさい勉強しなさい」と口うるさく言われたことはないですね。

夏休みの宿題は毎回やり切ることはできなかったです笑

お金に自由はないけど、やりたいことを両親から制限されなかった私はこう思うようになりました。

「いつか自分のお金で海外に行けるようになったら、その時は絶対に海外に行く。」

これはおそらく中学生の頃から考えていたかもですね。少なくとも高校卒業時には、将来絶対に海外に行くという揺るがない決心がありました。

そんなこんなで、海外にどうしても行きたかった私はどうしたら海外に行けるの?と調べ始めるようになります。

エージェントの無料相談を何個か受けてみたり、海外にすでに留学してきた友達に話を聞いてみたりと少しづつ夢に向かった行動をし始めていました。

やっと見つけたワーキングホリデー制度

調べていくうちに、ワーキングホリデー制度というものを見つけました。

「こんなに安く、しかも現地で働きながら英語を学べるの!?」

当時はこの制度に驚きを隠せませんでした。

ワーキングホリデー制度を使って、海外渡航する決意をするのにはそう時間はかかりませんでした。

大学生であまりお金のなかった私は、現地に行って困らないように一年前から少しづつ準備を始めていました。

その過程でぶつかったのはやはり「英語力」な訳だったんです。

次の項目では、オーストラリアへ来た当時の私の英語力について少しばかり語りたいと思います。

私の海外渡航時の英語力

私の海外渡航時の英語力は

  • TOEIC400点未満
  • 周りがどういった会話をしているのか全く理解できない
  • 自分が言いたいことが何も言えない

こんな感じでした。

「英語を話せるようになりたい!!!」

とずっと思っていたものの、勉強があまり好きではなかった私は英語の成績は良くありませんでした。

単語暗記、文法理解なんて時間をかけないとできないようなことはあまりやりたくなかったんですよね正直、、、

机に向かって勉強するのが好きではない私は、英語の勉強をサボっていたんです。

もちろん少しづづやろうと努力はしていたけど、海外渡航をする上では十分な量ではありませんでした。

そして実際に現地に渡った当時の私は、英語の勉強をサボっていたことを後悔するわけです。

私に訪れた困難とは?

それもそのはずですよね、

英語が話せなかったせいで、せっかく見つけた仕事はクビになり
友達ができても自分の話したいことが全く口から出てこず悔しい思いをして1日が終わり
新しく見つけた職場では英語ができないが上に毎日マネージャーから怒られる

こんな生活をしていたら、過去の自分の行いを恨むのも致し方ありません泣

とまあこんな感じで、当時の私は海外で通用するような英語力を持ち合わせていませんでした。

それでもなんとか毎日必死に英語の勉強をして、なんとか1年半海外での生活を切り抜け、今では日常会話であれば全く困らないような英語力を身につけることができました。

こんな勉強嫌いの私が日常英会話に困らなくなるまでの勉強法についてはまた別の記事を作る予定です。

私の現状

現在私は、オーストラリアのメルボルンという街に住みながら仕事をしています。

「メルボルン」といえば、世界で最も住みやすい都市と言われているほどオーストラリアでは人気の都市ですね。

オーストラリアに住んでもう一年半になります。この一年半の間、ずっとオーストラリアで過ごしていたので、「そろそろ一時帰国するか〜」ということで6週間ほど休暇をとってきました。

メルボルンにくる前はクイーンズイランド州というところにいました。

仕事をやめて、住んでた家を出てきてから車でメルボルンまで大移動

車だけ友達の家に預けてから日本に一時帰国したため、オーストラリアに休暇から戻ってきた際は、仕事も家もない状態からまた再スタートという状況でした。

すごく不安のある再スタートではありましたが、一年半のオーストラリア経験がわたしを助けてくれました泣

なんと10月半ばに日本から戻ってきて、3日ほどで新しい家を見つけることができたんです!

見つかった家はシティから車で50分ほどの場所で少し自然の多いところです。日本大好きなオーストラリア人オーナーと私を含めた3人、合計4人でシェアハウスをしています。

家が見つかった後は1週間ほど仕事探しに明け暮れ、やっとの思いで仕事をゲットすることができました。

何事も経験ですね、、、

一年半前に渡豪した時の私は、仕事を見つけるのに約1ヶ月半かかってました。

私にとってはお金の不安は常に付きまとうワーホリ生活ではあります。でも無事家も仕事もゲットできたのであとはやりたいことをひたすらやり続けるだけです!

この「私のやりたいこと」についても、お伝えできる範囲で書いていこうと思います。

私の今後のプラン

オーストラリアにいる間に達成したい目標として掲げているのは

  • 英語力の向上
  • 第二の収入を作ること

主にこの二つです。

今後のプラン①英語力の向上

英語力の向上に関しては、具体的にTOEIC800点を目指しています。

日本一時帰国の際にTOEICを受講したのですが、なんと結果は560点泣

渡豪前の点数は約400点だったため、160点程の成長はありました。

私の中では650点位は取れている予定だったんですが、、、

自分の認識している英語力と客観的にテストした英語力は違うってことですね、、、

やはり英語学習に終わりはないということです。

今後のプラン②第二の収入を作ること

やはり今の時代、雇われているだけでは収入に限界があります。

自分の力で稼げる力を身につけることはこれからの時代を生きていく上でとても大事なことだと考えています。

このブログ立ち上げも第二の収入を作るための一つの行動です。

インターネットでのビジネスが普及した今日では、パソコンとネット環境があれば第二の収入をつくることは可能です。

分かっていても行動できていない自分がいました。

環境が整った今、私の中に「行動を起こさない」という選択肢はもうありません。言い訳なんてもうできないんです。

  • 英語力の向上(TOEIC 800点)
  • 第二の収入を作る

上記の二つが、私がこれから時間をかけて取り組むことになります。

まとめ

いかがでしたか?

今回は、このブログの立ち上げ人である私もりこの自己紹介を長々とさせていただきました。

海外に行きたい理由なんて人それぞれだし、育ってきた環境も持ってるスキルも人それぞれですよね。

それらを分かった上で、海外に挑戦したい若者を応援するブログサイトを作っていきたいと私は考えています。

このブログに訪れた方が、この記事を読んで「もりこってこういう人なんだ〜」と知っていただけたなら幸いです。